97年12月14日に25年ぶりに波照間島に行ってきました。

沖縄が返還になった直後の73年3月に石垣島、与那国島、波照間島などに約3週間行き、波照間島の印象が強く、その後どの様に変わったのかと常々気になっておりました。
HPで波照間島の最近の状況がわかり、更に行きたい思いにかられていたところ、たまたま沖縄への出張があり、ついでに波照間島まで行ってきました。

<25年前の話>
25年前、波照間に行きたいと思いついたのは、当時私は学生で北海道におりました。その時、北海道の各地をくまなく旅行し、日本最北端の宗谷岬で「北」の方向に向かって泳ぎ、最東端の納沙布岬では「東」の方向に向かって泳ぎました。
(この時の話を書き出すと終わらないので、ここまでとします)
この時、日本の最西端、と最南端でも泳ぎたいと思い、南西諸島に旅する事になったわけです。

その当時、波照間に行く旅行者は、ほんのわずかでした。
たしか、石垣から船で2時間以上かかったと記憶しています。
(ちなみに、波照間に行く前に行った与那国は6時間程度かかったと 記憶しています。)
波照間の港についてもだれ1人迎えてくれる人もいなく、当然、車もありませんでした。
ぶらぶらとあてどもなく、村のある方向に歩き、民宿らしい所で昼食を無理を言って食べさせてもらいました。
当時、波照間島の情報も少なく、人が住む最南端の島が波照間だという情報ぐらいで、民宿があるのか、泊まれるのか石垣に行くまで全くわかりませんでした。まぁ行き当たりばったりの旅でした。
波照間に行く前に与那国で10日ほどおり(本当は、海が荒れて船が出なく仕方なく)、その後、石垣に戻り、波照間に行った訳です。従って、波照間の情報はある程度わかっておりましたが、なんと言っても与那国から石垣に戻った時に波照間出身の人に会い、波照間の話を聞いた事が大いに参考になりました。

波照間では2泊しましたが、何をするでもなくうろうろし、最南端の碑があるところに行ったのと、ニシハマで泳いだ記憶が鮮明に残っています。
与那国では最西端の西崎から無理をして西の方向に泳ぎましたが、波照間に行く目的である、最南端から南に向かって泳ぐ事は、ご存じの様に不可能でした。
(断崖で波も荒く、どう考えても無理・・・)
このように、今でも25年前には色々な思いでが残っております。


<25年ぶりに着いたぞ、波照間島>
石垣から高速船で1時間。早くなったものだ!!!
港の手前は相変わらず波が荒く、25年前と同様に揺れました。
港に着いてビックリ。以前とは桁違いに立派になっておりました。
当時は小さな岸壁が1つあった程度だった(多分)・・・。それに港からの道路がきれいに舗装されていたのもビックリ・・・。当時はどこを探しても舗装された道路はなかったはず(多分)。
港でそばを食い、「泡波」をGETしようと思いましたが、お店の人のガードが固く、売ってくれません。2合瓶をそのまま飲むので瓶ごと売ってほしいと頼みましたが、ダメ。コップに移して飲むのであれば売るが、瓶ごとで飲むのはダメとの事。それじゃ、コップ2つに泡波を入れてくれ、そしてその空き瓶も欲しい、と頼んでもそれでもダメ。結局、コップ半分(200円)の泡波を飲んだだけに終わった。
民宿は「みのる荘」に事前に予約しており、港にワゴン車が来ていましたが、25年前を思いだし、ぶらぶらと村の方向に歩いて行きました。
ここでもビックリ。舗装道路が各村の方向にあり、手に入れていた地図を見てもどの方向に行けば良いのか迷ってしまいました。
うろうろしながら、泡波が手に入りやすい村に行きましたが、あいにく昼休みで店はしまっており、そのまま「たましろ荘」の前を通り、みのる荘の方向に歩いて行きました。


<みのる荘に泊まろうと思ったのは>
HPで「たましろ荘」の食事の情報を知っていたので、あまりのすごさに驚き、若干敬遠した訳です。
また、みのる荘は地図をみて25年前に泊まった民宿ではないかなと推測しできれば同じ民宿にしたいと思って決めた訳です。案の定、あとで民宿のおじさんに聞き、旧館を見るとズバリ25年前に世話になった民宿でした。


<再び来たぞ、最南端>
みのる荘で自転車を借り、(民宿宿泊者でも200円/時間・・・高い!)。最南端、観測センター、ニシハマなどに行きました。
最南端は、休憩所を除き、25年前とほとんど同じでした。25年前はたしか、村からぶらぶらと歩いて最南端に行ったと思うが自転車でいっても、結構時間がかかりました。(ちなみに、最南端で自転車がパンクし、帰りは自転車を押して帰った事もあるが・・・)


<見つけたぞ「ぶりぶち公園」>
西の浜に行き、モンパの木でTシャツを買い、おじさんと色々話をした後、幻の公園「ぶりぶち公園」を探しに行きました。
なかなか見つからないと思っていたが、以外と簡単に見つけられました。周回道路に小さな看板があったのですぐにわかったのですが、確かにこの看板がなければ見つける事は、難しかったと思います。
不可解な公園と言われる様に、確かにだれも利用している気配もなければ、まただれも利用するとは思えない場所にありました。
まぁ、話のネタにコンクリート製のベンチ(4つ)に腰をかけ、一服して公園の雰囲気を味わって見ました。でもこの光景を見た人は、異様に思うでしょうね。!!!
このあとシムスケーにも行きましたが、むしろこちらの方がわかりにくかったです。
周回道路からの入り口は看板もありわかったのですが、海に向かって行くと道路が左右にわかれており、右に少し行っても見つからず、戻って、左に行っても見つかりませんでした。仕方なくまた分岐点に戻り、右に行くとやっと見つかりました。
(シムスケーは、周回道路の看板を海の方向に行き、突き当たりを右に行きましょう!)


<ついに手に入れたぞ、幻の泡盛「泡波」>
各村を泡波を求めてうろうろし、なかなか泡波を見つける事ができず、あきらめていたとき、最後に寄ったある村の売店(場所は言えません。おばさんとの約束の為)に行った時、世間話をし、波照間の生活の話をしていたとき、ついポロと泡波が昨日各家に配られたとの情報をGETし、おばさんに頼み込む事20数回。その結果、おばさんの家でお正月に飲む様においていた(本当かな?売り物だと思うが)幻の泡波を見事に560円(売り原価)で手に入れました。店のカウンター(?)の内側に見えないように、隠すように置いてありました。
新聞紙に包み、わからないように渡してくれました。
(ちなみに、1000円渡しました。お釣りはチップ?)


<夜の星空観測センターは貸し切りだった>
今回は1泊しかできない為、夜は民宿の送迎で星空観測センター(館長はかの有名な新城:あらしろサン)にいきました。送迎料はちなみにセンター入館料300円に対して2500円もとられます。
着いてから新城サンより、他の民宿の人も来るのでしばらく間って欲しいと言われましたが、結局だれも来ず、私1人の貸し切りとなりました。
新城サンから、プラネタリュームで波照間の1年間の星空の話を聞き、さらに屋上で実際の夜空を眺めながら(ちなみに当日は曇りで、星が見えたのはごく一部の雲の切れ間からでした。)星の説明を「一方的」にされたのを聞き、天体望遠鏡でゆっくりと星を観測させてもらえました。


<波照間よさらば>
みのる荘で1泊した後、那覇に12時までに行かなくてはならない為(今回はあくまで那覇に出張に来たのだ)石垣まで飛行機で戻りました。
民宿の車(おじさんのめい?の運転)で飛行場まで送ってもらいましたが、途中、郵便局で波照間からの郵便物を車に積んで飛行場に向かいました。
郵便物の多くは、波照間唯一の産物である、かの泡波が大半でした。
途中、車内で泡波が漏れているようなにおいが充満し、割れているのではと姪ごさんに訪ねたら、それは「私が朝から泡波を飲んでいるからだヨ」といともしゃーしゃーと言われました。波照間では朝から泡波を飲むのは当たり前だとの事。オイ、警察はいないのか・・・・?
飛行場に着き、売店でかの有名な「長命草ジュース」を飲もうとしたが、月曜日の朝はまだ作っていない???との事。
飛行機は、19人乗り。本当にちっちゃな飛行機。いすはパイプいす。本当にパイプいすのベンチ。そして、飛行機が出る前に非常時の説明するのが、かのみのる荘のおじさんではないか!。普通の飛行機の場合は、きれいなスチュワーデスが説明するのにおじさんだ。もちろん、飛行機にはスチュワーデスは乗っていません。
飛行機は、車が発進するように滑走路に行ったと思った途端にランディングを行いあっと言う間に飛び立ってしまいました。


つれづれなるまま、1泊2日の波照間旅日記でした。


 

 

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